柔らかく暖かいものがマオの触れる。心地いい。……祖母を思い出す。幼い頃、ベッドの側で眠るまで、ずっと頭を撫ぜてくれた。ラベンダーの匂袋をいつもポケットに入れていた。反対のポケットからは必ずお菓子が飛び出した。杖を一振りすれば花が咲き乱れた。心優しい魔女の祖母は領民からも慕われている。そして本音はマオに跡を継いでもらいたかった筈なのに、反対もせず快く騎士への夢を許してくれた。今度こそ、休暇をとって実家に帰ろう。まだまだ新米とはいえ、騎士になったこの身を見せてあげるのだ。ああ、祖母の喜ぶ顔が目に浮かぶ。騎士の装束姿のマオをギュッと抱きしめて、誰よりも喜んでくれるはず。そして、ペタペタと頬に祝福のキスを…… うん? ペタペタ? 何か変…… ペタペタ。ペタペタ。ヒンヤリぬるりとしたモノが彼女の顔に伝わる。さっきまでの柔らかく暖かいものとまるで違うこの感触がキモチ悪く、ゾワリと悪寒が走った。そして、ペロリンと唇が撫ぜられた瞬間、目があった。その物体と。キョロりとした目玉、広い口元、吸盤のある足。褐色じみた色合いにイボイボの体。 「ケコ、ケコ、ケコー」 長く伸びた舌がマオの唇を再びペロリと舐めた。 ……その姿、蛙。どーみても蛙。蛙。蛙。蛙。蛙。蛙。蛙。蛙。蛙。蛙。蛙。蛙!!! 「いやぁーーーーーーーーーーーっ!!」 マオの絶叫が響いた… A「グゲコッ… キュウ ゲッコー ゲココ」 B「……というわけで間一髪だったよ。(だから感謝しろしろ!)」 C「お茶のお代わりをどうぞ。(ニコニコ)」 二人と一匹から囲まれ、同時進行の会話が一方的をされてマオは蛙以外のどちらに相槌をうつべきか困った。マオがいる部屋は星の賢者の居城ドラゴンキャッスルの一室だ。Bは鍵の王子のキィ、Cは星の賢者、Aは論外だ。 「ありがとうございます。で、これどけてもらえませんか(苦手なんです)」 キィはBを選択して、お礼を言いつつお願いしてみた。なんてたって、主で命の恩人だ。 「はぁ? お前がやれよ。(主を使うなんざ何様だ?)」 「……ですよね(糞ガキ! 予測はしてたけど。でも私がゲテモノ苦手なのアンタしってるじゃん!!)」 意地悪く笑うキィにマオは思わず睨みつけそうになるのを堪えて拳握り締めて、造り笑顔で返事をする。近所のガキなら折檻している。騎士の幸福度は主次第だ。ロクでもない奴が主だと苦労ばかり背負い込む。<さらりーまん>と一緒だ。先任のハンが時折深い溜め息を吐いていたのが今なら納得できる。 きまぐれ、わがまま、猫かぶりの権力者。マジで親の顔がみてみた…… 「いにゃい(痛い)。 にゃにしゅるんでしゅか?(何をするんですか?)」 「声帯からダダモレしている」 キィに頬を強烈につねりあげられ、マオは悲鳴をあげて抗議した。頭二つは小さいチビのくせに力は中々ある…… 「その口、縫われたいか?(怒)」 心の声がついつい漏れただけだ。すぐ暴力にでるところが子ど……とと、慌てて思考を削除した。針と糸をもつ笑顔が怖い。奴は必ずやるタイプだ。嫁入り前の顔を傷物にはしたくない。 「その方、同僚ですわ。同行もいたしますし、馴れていただかないと」 「はい?」 「そういうことだ、まあ頑張れよ」 星の賢者の意味不明な発言と主にポンと肩を叩かれる。咄嗟に蛙を凝視してしまったマオは背筋に旋律が走り、次にカッと頭に血が昇り、そして笑顔を貼り付け言葉を紡いだ。 「騎士団史上には、狼や鷲が騎士位を授与されたことはありますが…… きゃっ!」 天狼や神鷲が騎士として活躍する話は御伽話として有名である。が、御伽話レベルで語られる程に稀少レベルの前例なのだ。それなのに蛙が騎士位を授かるなんて馬鹿にするにも程がある。慇懃無礼な口調で言葉を続けようとしたマオの顔面でパンと衝撃音(魔法)が炸裂した。 「申し訳ございません」 キィが放った魔法の衝撃に本能でマオは慌てて平伏した。……マズイ、図に乗りすぎた。 「無駄口たたかず、とっとと出立しろ」 「御意」 「お願いいたします。本来ならワタクシの役目なのですが事情があって城を動けないのです。マオ殿にはご迷惑をかけて申し訳ないと承知ですがこの役目は乙女にしか果たせないのです」 己の不甲斐なさを恥じ入り、マオに深々と頭を下げる星の賢者の態度にマオは感動と衝撃が走る。王と同位であり、世界の成り立ちに不可欠の存在が自分のような下々の存在に頭をさげるなんて。同じの存在の王子からは足蹴にされっぱなしだ…… 「そのように心をお痛めにならないで下さいませ。不肖マオ・シンユン、しかとこの役目やりとげてみせます」 何かをやれねばいけない時、ムカつく主と尊敬できる主とではボルテージが違うというものである。とにかくこの王子ときたら、尊敬<<<<<<<<不快なので、何度枕をくやし涙にぬらしたことか…… 日ごろの行いは大事である。 「では、飛ばすぞ」 賢者への決意表明と感動の余韻に浸っていたマオの頭上には転移用の魔方陣が描かれている盤がキラキラと光を帯びながら発動し始めていた。当然、マオの体が徐々に消え始めた。 「はぃぃ? げっ、何時の間に魔方陣がちょ、ちょっと準備も間…だなん… このくされ…○×△!!!」 マオが完全に消え、チリンと軽い音をたてて転移用の魔方陣が描かれた盤が落下した。王子はそれを拾い上げて懐にしまう。マオの悪態は最後まで聞こえなかったが、言葉の予測はつくというもの。無事に戻ったら泣くまで苛めてやると大人気ないことを決意する。久々の好物件なのだから、もっと楽しまなければ損だ。 ただし、無事に戻れれば、のことだが。 「期待しているぞ」 そんな苛めっ子根性丸出しの王子の様子に星の賢者は深く溜め息をついた。だからあの時「彼女」と破局したのだ。どんな性格であろうとも、彼が「王子」である以上、彼に進言出来る者は限られている。それがこの性格の増長につながったのだろうが…… 「本当に困った子…… そしてごめんなさい」 被害の1/4を受ける立場の賢者はマオに心の中で詫びた。