鍵を借りる為には番人に会わねばならないので、マオは兎に角、白毛狼の不在を石塔にて確認する。いれば石塔に火が灯のだが、灯っていない。やはり不在のようだ。 鍵がないと茨姫を尋ねることが出来ない。森には小鬼も出没して、町人達も困っているのにいささかのん気な番人である。どこへ隠れたのか、手がかりでもないかと頭をバリバリかきながら泉を覗き込む。 水面に映っている石塔と蛙。水面の石塔には火が灯っている。水面の蛙はなく、映っていたのは口をへの字にした不機嫌な雄雄しい裸体の青年。 泉は完全には穢れていないらしい。水面に映るは真実。 番人は隠れているだけのようだ。青年の裸体に一瞬、顔が赤くなったのは内緒だ。花も恥らう嫁入り前の乙女なので仕方がない。 そうとなれば、白毛狼に会うためにはやはり祠にお邪魔するしかない。祠のある小島と岸には橋がかかっているので往来は簡単である。町人の話では、フレンドリーな番人らしく誰でも気軽に訪れるようにとの配慮である。ただ、最近はゴブリンが出没と、番人不在(行方不明?)の為に交流が一時的にストップしているだけのことなのだ。 念のため、即座に攻撃できるように神経を研ぎ澄ましつつ、霧が漂う祠の周囲を伺った。 やっぱり湿り気の漂う泣声は祠の内部から聴こえていた。一応、ここは来客らしい行動をとってみた。屋根からぶら下がっている紐をゆらして上部についている呼び鈴らしき巨大な鈴をガランコロンと鳴らす。 やっぱり反応ない。しかしすすり泣く声は確認。再び鈴を鳴らす。返答なし。 ならばと、マオは一息すいこみ、剣をかまえて扉を蹴り開けた。 ……誰もいない。やっぱり、声はする。蜘蛛の巣と埃がうすら積もった祠内部を慎重に歩く。途中で足音が変化に這い蹲って床を調べた。 「……ビンゴ♪ 隠し扉を発〜見! ここが取手ね。うりゃっ」 扉が開き、地下へと続く石階段が出現した。早速、マオはスタスタと階段を下りて行く。 ふむ、隠し通路に隠し部屋、ここが実用的な住居というところか。神殿はないらしい。 マオが仕えている王子は神殿を造営して拝観料を徴収するツワモノだが。 玄関、居間兼食堂、その奥の寝室だろうと思われる扉。半神半獣とはいえ、神族のくせに小さくまとまった住居に住んでいるものだ。 奥の扉をそうっと開けて中の様子を視認した。生き物を発見。居たのはベッドに顔をうずめてジメジメとすすり泣いている男、一名…… オイオイ、マジですか!?である。 ハァと溜め息をつき、男の傍に行き、剣の柄で後頭部をぶん殴った。 「ちょっと、泣きやんであたしの顔をみなさい! 怪しいものじゃないのは一目瞭然ね。OK? 次はこれで涙ふいて鼻を噛んでこっちに来て頂戴。そのハンカチは要らないから」 有無を言わせないマオの口調に突然のことにポカンと口をひらいたまま青年はうなずいた。 台所を勝手に拝借してお茶を準備した。戸棚にバターケーキがあったので勝手にそれも切り分けた。蛙にも休憩用の水盤を用意した。 馬鹿なのか鈍感なのか不明な青年は出されたお茶を黙って飲んで、ケーキをネズミのようにほお張っている。 黒い長衣に碧玉の双眸の白銀の美青年。町人達の情報が正しければ「これ」が番人だ。月神の穢れを清める為にある禁色の森の長。 「貴女がもってきてくれたのかな? このケーキ。とても美味しい」 「宜しければ。こちらも差し上げます」 マオは自分のケーキも青年にそっと差し出した。自分は蛙用にとっていていたのを流用すればいい。 「料理が上手だね」 「女性の嗜みです。当然ですわ。ホホ」 「ゲコ……」 神族相手にしれっと嘘をつくマオに水盤で休息中の蛙は呆れ返っている。マオは質問に明確に答えていない。勘違いしているのは単純にあちらの落ち度である。咎めを受けるいわれはない。 たとえ、オムレツが爆発してもクッキーが炭と化しても刺繍したら血染めの雑巾となっても「使用人と乳母のいる家」に嫁げば家事も育児も問題はでない。奥方に家事育児を強制させる甲斐性なしの夫はこちらから願い下げである。お茶に関しては王子にスパルタ特訓されたので何とか入れられるだけだ。ついでにバターケーキを切り分けた剣は小鬼退治に使用したものだ。まな板までスライスしたのはちょっとしたご愛嬌である。 「何か用? そういえばみんな(遊びに)来ないから、どうしたのかな? と思っていた」 青年は不法侵入の来客者に嬉しそうに話しかけてくる。人懐こい。目に見えない尻尾がふりふりしている。金目のものがないので泥棒が盗めないだけで、かなりの無用心な住居だ。何しろ、玄関の扉には鍵がついていないのだから。 こいつはもしかして馬○かもしれない…… マオの脳裏には不遜にもその言葉が頭に浮かんだ。森には小鬼が跋扈して、町人達が困っている。泉は穢れている。その事実をこいつは判っているのだろうか? 「小鬼と泉の件はご存知ですか?」 いやいや、神族相手に早合点はいけない。もしかしたら天よりも高く海よりも深い事情が横たわっているのかもしれない。神の思考は人とは異なるのだから。青年は神に近い位置に属する者だ。 「知らない。もしかして何かあったのかな?」 このっ、○鹿番人!! 無邪気に尋ねた番人にマオは心の中で盛大に罵倒した。 「あれ、穢れているね。何時のまに。困るな〜」 祠の外に連れ出して、現状を見せた番人の第一声だ。 口を尖らせ、のほほんとした態度の彼にマオはガックリと肩を落とす。 危機感というものはないのか!? テメエの落ち度の結果がこの状態を招いているんだろうが! 貴様はこの森の番人で長だろうが!! そう、怒鳴りつけたい衝動を抑えて状況回復を促した。 「皆が困っています。是非、番人のご助力を」 「代償は?」 「はい?」 「だから、代償」 ぽやぽやとした笑顔から似つかわしくない要求事項にマオは言葉につまらせた。 「だからね、森が、泉が理由もなく穢れることはない。理由があって穢れたんだ。理由を捻じ曲げて理を正すには大きな力が必要になる。その為の代償を要求しただけ」 青年は体を曲げてマオを下から覗き込んだ。無邪気な笑顔の癖に瞳は笑っていない。唇近くで彼は甘く囁いた。 <代償はキミでもいいよ?>